私のゴールキーパー人生は、決して明るいものではありませんでした。
いい思い出より、圧倒的に悪い思い出の方が多いです。
ではなぜ、そんな自分がGKコーチを志そうと思ったのか。
そこにはある方との出会いがありました。
キーパー一筋のサッカー人生
小学5年生から大学1年の夏まで、約8年間私はゴールキーパー一筋でサッカーをやってきました。
今でこそ埼玉県にもGKスクールが増えてきましたが、私が小中学生の頃はそんなものはどこにもありませんでした。
特にトレセンなどにも選ばれたことがありませんでしたし、チームにもGKコーチはいなかったため、ゴールキーパーの専門指導を受ける機会というのは本当に皆無でした。
ゴールキーパーが嫌いになりかけた
毎日チームの練習では、フィールドのシュート練習に入ってただただシュートを受けるだけ。
そのため小中学生の頃は毎試合失点するのが当たり前でした。
当時チームにGKが私一人しかいなかったため、ずっと試合には出させてもらっていたものの、チームのお荷物でしかありませんでした。
監督・コーチ、チームメイトから文句を言われるのは日常茶飯事。
正直好きで始めたゴールキーパーというポジションが嫌いになった時期もありました。
GK人生の分岐点となった出来事
高校生になり、3年次にはキャプテンをやらせていただいたものの、新人戦・インターハイ予選と後輩にスタメンを奪われベンチで試合を見守る日々が続きました。
キャプテンなのに試合に出れない。
苦しかったですね。
このままでは最後の選手権すら出れずに終わるのではないか…
そう思っていた矢先、それまでの暗いストーリーを覆す出来事がありました。
福岡と埼玉を繋いだ遠隔指導
日本最大の生徒数を誇る福岡ゴールキーパースクールの校長である中山英樹さんとの出会いです。
私は、中山さん監修の「オンラインGK育成プログラム」というものをインターネットで発見し、受講し始めました。
その内容に当時の私は言葉では言い表せないほどの衝撃的を受けました。
私のミスプレーに対して、お尻の位置や上半身の角度などめちゃくちゃ細かい部分を指摘されたのです。
「プロのGKコーチってこんなところを見ているのか…」
「GKってこんなに奥が深いんだ…」
それから毎日毎日練習がしたくてしたくてたまらなくなりました。
「もっと上手くなりたい!もっとこのポジションを極めたい!」
全体練習後、毎日後輩GKを引っ捕まえて自主練を手伝ってもらいましたね。
そして中山さんのご指導のおかげで、私は最後の選手権にピッチに立つことができました。
私の使命
中山さんに出会っていなければ、間違いなく広瀬空はGKコーチになっていません。
それほど私に強い影響を与えていただきました。
埼玉県は全国的に見ても、GKコーチ不足がかなり深刻です。
まだまだ、GKコーチから教わっている選手が少ない。
イコール暗いストーリーの選手が多いはずです。
私は選手たちの過去のストーリーは変えることはできませんが、これからのストーリーを変えることはできます。
中山さんが私のストーリーを変えてくれたように
今度は私が埼玉のゴールキーパーの未来を明るくする。
それが私の使命です。